三保松原は、三保半島に生活していた先人たちが海岸線に自生していたマツの保護、植林を繰り返すことによってできた約54,000本の松林です。明治31年以降保安林に指定され、潮風から住居や畑を守るとともに、市民の憩いの場所として生活に密着した松原となっています。
かつて、半島の北側は、3つの出っ張りがある形をしており、これが3つの稲穂のように見えたため“みほ”と呼ばれるようになったと言われています。
霊峰富士の眺望を背にした渚の白砂と緑の松原、全国に知られている羽衣伝説の「羽衣の松」の景観は美しく、大正5年に新日本三景の一つに選ばれたほか、大正11年に全国初の国の名勝に指定されています。
現在、地元の三保名勝保存会が清掃、下草刈りなどの活動およびマツクイムシ被害木の早期発見などに協力し、行政とともに松の保護育成に尽力しています。 |